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26年越しの邂逅「僕と彼とピーマンと」 第3話

第3話 古着への思いと新たな決意

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仕事や家庭のことなど世間話を2、3交わした後、少し落ち着いて話をしようということになった。ビニールハウスが何棟も並ぶ合間に休憩所も兼ねた作業小屋があり、中へ案内される。夏の暑さを凌げるよう遮光性の高いシートで覆われた空間は、目が慣れるまで薄暗く感じた。

里平のある山間は、夏は35℃を超え、冬は-20℃を下回る過酷な環境にある。青空を割るように白くそびえる冬の日高山脈は、春になると豊富な養分を含んだ雪解け水を山麓まで運び、里平の肥沃な大地を育んできたのだろう。彼はなぜこんなにも山奥で農業を営んでいるのかと不思議に思ったが、誰が語らずともこの農園を囲む自然が答えをくれた。

作業小屋の中には小さな座卓があり、それを囲むようにパイプ椅子が3脚置かれていた。パイプ椅子に座るよう促され、紙コップに注がれたアイスコーヒーを受け取る。一口飲むとすっかり喉が渇いていたことを思い出し、一気に飲み干した。笑いながらおかわりをもらい、場が和んだところでこれまでの半生を聞いてみることにした。

立桶くんは石狩地方の高校を卒業後、就職のため岩手県盛岡市へ移住したという。

彼が就職したのは、盛岡発祥の「ハンジロー」。1992年に創業し、最盛期は全国17店舗にまで勢力を拡大した古着ブランド店だ。当初はビンテージ品が好きで働きだしたが、次第に質の良い古着が出回らなくなり、会社はオリジナル商品を開発するようになった。それと同時にアパレルへの情熱も薄れ始め、30歳を過ぎた頃年齢的な焦りもあり、札幌へ戻ることに決めたのだという。

ハンジローで知り合い結婚した妻・悠起子さんは青森県の出身で、札幌の短大へ進んだ後、盛岡で立桶くんと出会い、今に至っている。お洒落と都会を好む彼女は、札幌へ戻ることについてさほど抵抗はなかったようだ。そして、札幌へ戻ってからも当然アパレルの仕事へ就くと思っていたのだろう。

アパレルの仕事は職場が都会のビルの中が多く、日常業務は屋内で完結する。立桶くんはいつの頃からか生活の中で感じる季節が薄れていったという。GW・お盆・クリスマス・お正月と節目のイベントがただ訪れ、無常に過ぎ行くその時の流れに焦りにも似た虚しさを感じるようになった。

子供の頃は見るもの感じるものが四季折々の自然の中にあった。雪の上に寝そべり見上げた透き通るような空とどこまでも流れる雲。萌黄色の芽を無数に付け始めるコブシの木。入道雲と風が運ぶ雨の匂い。木々が葉を落とす中、ひと際鮮やかな実をつけるナナカマド。自然のあるがままを五感で享受していたあの頃は、今思えば特別な時間だった。

人生の限られた時間の中で、札幌に戻ってやるべきことは何なのか。自問自答を繰り返すうち、その答えは徐々に輪郭を帯び始めた。

次回(第4話)へ続く