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【超解説】
ディマシオ美術館

藤井 慎二
大分県別府市生まれ。驚異の部屋をテーマに、世界各地の珍品を蒐集・展示をする古書店「書肆ゲンシシャ」店主。

ゲンシシャ藤井慎二さんが紐解く
ディマシオ作品の魅力。

幻想絵画の鬼才ジェラールディマシオ。彼の作品200点以上を収蔵する「太陽の森 ディマシオ美術館」が新冠町の山間部、日高山脈の麓にあります。

実はこの美術館、Hi-MAGと縁が深く私たち編集部員たびたび訪れている場所。だからというわけではありませんが、この美術館の魅力はHi-MAG創刊前から伝えたいと考えていました。そしてこの度、ディマシオの類を見ない倒的な世界観をきちんとご紹介すべく、適任者を見つけ出してきました。

その方の名は、藤井慎二さん。

大分県別府市にある「書肆ゲンシシャ」という古書店の主人です。このゲンシシャには慎二さんが蒐集した古今東西のディープなコレクションが陳列され、その空間はまさにヴンダーカマー。ディマシオの世界観にとても近しいものを感じさせます。しかも慎二さんは、もともと美術系の研究者。もちろん、ディマシオのこともご存知で、摩訶不思議な世界の案内人としてはうってつけというわけです。そんな慎二さんが美術館を訪れ、ディマシオ作品を紐解くテキストを寄稿してくれました。


自然に囲まれたディマシオ美術館で
幻想の世界へといざなわれる

文:藤井慎二

 「世界最大の油彩画」を展示する
ディマシオ美術館


 新冠町の道の駅から車で約35分、坂を登った先、太陽がいつもより近く感じられる場所に「太陽の森 ディマシオ美術館」はあります。住所は、新冠町太陽。雄大な自然に囲まれており、近くには太陽の神である天照大神を祀る太陽神社があります。太陽という地名は、戦後に御料牧場が開放され、高松宮殿下が、太陽のように明るい開拓地をつくってほしいという想いから名づけられました。

 ディマシオ美術館は、フランス人の画家ジェラール・ディマシオの作品を展示する国内、いや世界的に見ても最大規模の美術館です。ここはもともと、廃校になりネットオークションにかけられていた太陽小学校の校舎。それを、ディマシオのコレクターであった谷本勲氏が購入し、再生させました。マツ材を使った木目が美しい内装は小学校当時のままで、トイレの看板もそのままのこされています。元小学校だけあって窓が多い開放的な空間で、美術館としては珍しく、自然光のなかで作品を鑑賞することができます。さらに窓には地元・北海道の奈良憲一郎氏が手がけたステンドグラスが張られており、神秘的な雰囲気を醸し出しています。家具はアンティークもので揃えられ、特に扉にはこだわっており、異世界へと続くような意匠の凝らされた木製の扉が連なっています。また、照明は鑑賞者が近づくと自動で点灯するようになっており、幻想の世界へといざなうかのようです。嬉しいことに、館内では写真や動画の撮影が可能です。

 体育館だった場所に、メインの作品となる、ディマシオが描いた「世界最大の油彩画」が飾られています。同作品は、偶然にも体育館にぴったり収まるサイズでした。「キャンバスにブラックホールを描いた」と説明される縦9m、横27mの巨大なその絵が、上下左右の壁や床がガラス張りになった空間に飾られ、ただひたすら見る者を圧倒します。さらに、1時間に1度行われる9分間のショータイムには、ステンドグラスの窓にカーテンがひかれ、絵がライトアップ。壮大な音楽が流れるなか、幻想的な空間に身を置くことができます。なんという贅沢!

 ディマシオ美術館には、ディマシオ以外にも、フランスのガラス工芸家ルネ・ラリックの作品が多く展示されており、プールを改装した別棟には「ガラスの美術館」も併設されています。また、二つの美術館をつなぐ庭園には戦後日本を代表する芸術家・三島喜美代の新聞をモチーフにした作品もあり、見逃せません。この庭園がまた賑やかで、腰かけている警備員や、恐竜、ゴリラの模型が展示されており、子どもが遊び、記念撮影するのにうってつけです。

 この美術館で重要な役割を担うのが、館内を自由に動き回る看板猫のマスク。丁重にお客様を出迎えてくれ、絵など作品はもちろん、アンティーク家具などの調度品にも傷をつけることのない賢明さ、むっくりとした彼の愛らしさには惹かれてしまいます。運が良ければ餌やりタイムに遭遇することも。彼のために、動物をこよなく愛した画家・熊谷守一の絵が飾られた部屋も用意されていて、さながら美術館の主のようです。

 敷地内の裏手にある「ディマシオ・グランピングビレッジ」に宿泊すると、夜に美術館を鑑賞することもできます。ディマシオをはじめとする作品を独り占めできるような特別な時間と空間を感じることができます。

ジェラール・ディマシオとは何者か


 さて、ディマシオとは一体何者でしょうか。

 ジェラール・ディマシオは、1938年、当時フランスの植民地であったアルジェリアでイタリア人の父とスペイン人の母のもとに生まれました。その後、古代ローマやルネサンスの遺産を多く有するイタリアで育ち、フランスでルーブル美術館の作品に感銘を受け、美術の道へと進みます。ボザール(日本における美術大学)に入学し、在学中には解剖学と建築学に興味を持ち、1978年から絵を描くことに専念。1979年にはパリに存在した画廊ギャルリ・ラーで初めての個展を開催します。その後、フランスのジャーナリズムはディマシオを激賞。1986年には日本の美術雑誌「芸術公論」でも11月号でディマシオの記事を掲載しています。

 順風満帆に見えたディマシオですが、その作品が物議を醸したこともあります。1984年、彼の作品がFIAC(国際現代アート見本市)への出品を拒否されたため、抗議のデモが行われました。その一方で、1987年には、町立ラバン美術館での展示に賛否両論の声が寄せられます。評論家は「ディマシオの絵を見る人々は熱心に共感するか、激しく反発するかのどちらかに分かれやすい」と語り、その理由として「彼の絵が良きにつけ悪しきにつけ、人を強く刺激するからだと思う」と分析しました。

 その後日本でも、朝日新聞社の主催によりディマシオの展覧会が開催されます。1988年には東京、大阪、尾道の3会場で。さらに1992年には、東京、大阪、京都、神戸、岡山、尾道、福岡、下関の8会場と規模を拡大して展覧会が開催されました。それもそのはず、主催者側の記録によると1988年のディマシオ展には、約6万4千人が訪れ、図録は14000部販売したとあります。また、1992年の展覧会には約16万6千人が来場したそうです。

 1994年にはやはり朝日新聞社の主催で「現代パリの幻想画家たち」が開催され、ディマシオを含む5人の画家の作品が展示されました。

 ディマシオの絵がどうしてこのように日本で人気なのでしょうか。「現代パリの幻想画家たち」の図録では、当時朝日新聞編集委員であった吉村良夫氏がその理由として、ディマシオも評価する画家ギュスターヴ・モローの幻想的な表現を日本人が好み、パリにあるギュスターヴ・モロー美術館の入場者の8割が日本人であることを挙げています。

 幻視芸術の画家ディマシオ


 ジェラール・ディマシオは、「幻想絵画の鬼才」などと評されることがあります。幻想絵画とは、幻想的なモチーフを描いた絵画のことで、歴史的には、ラファエル前派、象徴主義、シュルレアリスムの作品が幻想絵画に含まれるとされています。シュルレアリスムの画家として名高いダリのことをご存知の方は多いでしょう。ディマシオの絵は、時に「ダリの夢がついに実現された」と評され、高い評価を得ています。また、ディマシオの絵は、「レアリスム・ファンタスティーク(想像による写実)」と呼ばれ、幻想絵画のなかでも写実的であることが特徴です。ただ、ディマシオ自身は、自らの作品を説明するとき「ファンタスティック」という言葉を好まず、「ラール・ヴィジオネール(幻視者の芸術)」と呼んでいることにも留意しておきたいところです。

 ギャルリ・ラーの画廊主で美術評論家のエルヴェ・セランは、幻想芸術(ファンタスティック)と幻視芸術(ヴィジオネール)は異なるとしています。「パリの幻想画家たち」の図録で、フランス文学者の巖谷國士氏は、「ファンタスティック」とは、「超自然的なものの侵入によって自然的な世界に裂け目をつくり、私たちの見なれた現実を撹乱しようとするものだが、逆にいえば、自然的な世界を前提としなければ成立しない」のに対し、「ヴィジオネール」とは、「世界そのものをある変容の運動のなかにとらえ、全体的に別世界のように描いてゆく傾向がある」と解説しています。「ヴィジオネール」の系譜には、ウィリアム・ブレイクやオディロン・ルドン、ジョン・マーティンがいます。

 また、奇抜な作品が多い現代の芸術の中で、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロの作品から学び、あくまで伝統に則っていることも彼の魅力でしょう。エルヴェ・セランは、現代の芸術はそれまで受け継がれてきたものを破壊し、あくまで装飾的であるとして、そうではなく、人間の精神的な奥深さを表現したものとして幻視的絵画作品はあるのだと語り、現代の芸術家の代表的存在であるピカソは「幻視芸術家の対極にいる」としています。ディマシオ本人に至っては、「公式の芸術」は、「創造よりも商売を基本的に優先する」と批判しています。

 ディマシオ作品の特徴


 ディマシオの作品には共通点があります。

 はじめに、無題であること。これは、現実の世界に引き戻されないためであり、鑑賞者の感性を尊重するためです。

 次に、写実的であること。細部にいたるまで迫真的に描き出しています。

 眼球が描かれていないこと。また、目が黒い穴になっていること。その理由は、眼球は感情を表すものではなく、眼差しに表情を与えるのは眉や目尻の皺であるためと、ディマシオ本人が語っています。一方で、ディマシオは、目から描き始めるそうです。解剖学を学んだディマシオは、目を描くことで絵の全体像を思い描くことができるのです。

 裸であること。時代を特定しないようにするためです。また、彼らには体毛がなく、生と死の境界にいる存在として、描き出しています。

 背景が、遺跡のように描かれていること。これも「時代のない」空間を描き出すためです。

 なにより彼の作品を特定するものとして、破片が飛んでいることが挙げられます。これについてディマシオは「それまでのロボットのような人物が爆発しその中から人間が出現してきた」ことを表すものとして、特に重要視しています。破片は、作品にバランスと方向性を与え、鑑賞者のいる場所とは異なる無重力の世界であることを表し、三次元の奥行きを与えるものとして描かれています。

 また、フォト・セピアの色調であること、メタモルフォーシス(変容)を描いていることも特徴です。

 エルヴェ・セランは、幻視絵画の3つの判断基準として、「霊的な奥行き」「無時間性」「完璧な技法」を挙げています。

 こうした特徴をもって、ディマシオは、幻視絵画の系譜に連なる存在たり得ています。

 ディマシオは、作品の制作過程について、「制作に熱中しているとき、自我を越えた存在が私の心に働きかけてくる」とし、その存在を「精霊」と呼び、ユングの集合的無意識に近いものと捉えています。そうして、「それまでは自分でも想像していなかった新たなイメージが、画面の上に発展しはじめる」と語っています。

 叶えられたコレクターの夢


 なお、ディマシオ美術館理事長の谷本勲氏は、「喝!」で知られる元プロ野球選手・張本勲氏と浪華商業高校(現・大阪体育大学浪商中学校・高等学校)の同級生でした。同じく浪華商業高校の同級生で、ヤクザをやめて絵描きになった山本集氏が著書『西の空からコケコッコー』で、谷本氏について書いています。

 山本氏は、浪華商業高校野球部から智弁学園野球部初代監督に就任しましたが、新聞に練習を「生徒の人権を無視した」と書かれて辞めた後、暴力団員となっていました。そんな山本氏に、谷本氏は「絵描きになったらどうや」と勧め、山本氏は画家になります。『西の空からコケコッコー』のなかで、当時すでに何十億円もの資金を注ぎ込んで美術品を収集していた谷本氏は、「今の日本は平和や。これから、必ず文化の時代が来る。それもほんまもんの文化の時代や。銭儲けのための文化やないで。オレも商売やって金儲けさしてもらった。その恩返しに、いつか大阪に日本一の、どでかい美術館を建てるつもりや」と語っています。

 ディマシオ美術館には、いつか自分の美術館を作りたいというコレクターの夢が詰まっています。館内に所狭しと配置された美術品、屋外にまでその展示場所は広がっています。コレクターが見た夢が、太陽という土地に、ディマシオの幻想的な作品と相まって、夢幻の場所を創り上げたのです。

 ディマシオが現代に与えた影響


 ディマシオの絵は、映画「エイリアン」のデザインを担当した画家H・R・ギーガーの作品としばしば比較されます。ディマシオ自身は、「ギーガーと全く関係なしに描いてきた」と語っていますが、彼の絵は、ギーガーの作品と同じように、SFやゲームの世界に影響を与えてきました。ディマシオ美術館にも、実はわたしはディマシオに影響を受けたのだと語るゲームクリエイターが多く訪れているそうです

 これからも、次世代の作家が影響を受けたものとしてディマシオの名を挙げるかもしれません。ディマシオの公式ホームページや、娘モナリザのプロフィールを見て、世界中の人々が、ディマシオ美術館を訪れるはずです。ディマシオ美術館には、ディマシオの自画像に加えて、彼の母親、そして妻を描いた絵も飾られています。まさに、ディマシオの生涯が込められた美術館なのです。それが日本にあるという事実。コレクターが引き寄せた、ディマシオと日本との縁を、太陽の地で感じましょう。

 現在87歳のディマシオには23歳の娘モナリザ・ディマシオがいます。その彼女は俳優をしながら父親との仲睦まじい姿をTikTokInstagramに投稿しています。しかも、TikTokのフォロワーはなんと87万人以上! 彼女のプロフィールにはディマシオ美術館へのリンクが貼られており、ジェラール本人のInstagramもあるので、ぜひチェックしてみてください。

太陽の森 ディマシオ美術館
北海道新冠郡新冠町字太陽204番地の5
TEL:0146-45-3312/3313(FAX)
公式HP:https://dimaccio-museum.jp
Instagram@dimaccio_museum