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ディマシオ美術館が世界一になった日

2024.12.05

ギネス世界記録の認定に必要な条件は、いたってシンプル。

それは、”世界一である”ということです。

ギネスワールドレコーズという認定組織の厳格な審査をクリアしたものだけが、その称号を得ることができます。

そんなギネス記録は、全世界で4万件以上。ですが、これまで日高地方で樹立された記録はありませんでした。

その歴史が変わりました。

2024年11月14日、新冠町のディマシオ美術館で、新たなギネス世界記録が認定されたのです。

GUINNESS WORLD RECORDS

The Largest professional oil painting 
by a single artist 
is 243.387㎡(H:9.0004m×L:27.031m)
and was achieved by 
Gérard Di-Maccio(France) 
and Di-Maccio Art Museum 
The Forest of Taiyo(Japan)
 in Niikappu, Hokkaido Japan
on 14 November 2024 

www.guinnessworldrecords.jp


世界一と認定されたのは、ディマシオ美術館に展示されていた絵画。高さ約9m×横幅約27m、面積にすると約243㎡の大きさが、一人の画家の描いた油絵としては世界一であると認定されました。(ちなみに、それまでの世界記録は2022年に樹立された188㎡。南米ベネズエラにある教会の天井画でした。)

11月14日は、ギネスワールドレコーズの公式認定員が美術館を訪問。ギネス世界記録の認定式が行われました。

歴史的瞬間を目撃すべく、美術館にはたくさんの人が。テレビなどの取材も入り、まさにお祭りさわぎでした。

ギネス公式認定員の桐村和由さん。公式認定員は、全世界で約70人ほどいるそうです。

認定式は13時からスタート。
ギネス公式認定員の桐村さんが壇上に上がり、審査の結果を発表します。ギネス世界記録達成の瞬間です。

実はこれまで、この絵については、ちょっともどかしい思いをしていました。というのも、美術館の目玉であるこの作品のことを伝えるときに、自信をもって”世界一”と言い切れなかったからです。まさかこんな山奥に世界一があるなんて、にわかには信じられなく…。

でも、これからは胸を張って紹介できます。
ギネス世界記録に認定された、世界一大きな油絵が、新冠町のディマシオ美術館にあるんだと。


世界記録樹立の宣言の後、認定書の授与式へと移ります。認定書を受け取るのは、美術館創設者である、谷本勲理事長。椅子から立ち上がり深く一礼し、ステージ中央へと進んでいきます。

認定式は、美術館の公式インスタグラムでライブ配信された。

谷本さんは鉄鋼業で成功をした関西の実業家。また、テンプル大学日本校の創設に尽力したり、アート蒐集家という文化人としての一面も併せ持つ人物です。

そんな谷本さんとディマシオの出会いは、約半世紀前に遡ります。場所はパリのギャラリー。谷本さんがたまたま訪れたその場所で、ディマシオの展覧会が行われていたのです。

その時のことを、谷本さんはこう話します。

「パリを妻と歩いていた時です。ふらりと入ったギャラリーに、ディマシオがいたんです。それが彼との出会いです。作品を見て、しばらく話をした後に、ところで君の絵は売れているのか?と私は尋ねたんです。すると、全然売れていないと言う。それで僕は彼の絵を買うことにしたんです。絵なんて一枚も買ったことがなかったけれど、彼と過ごした時間が楽しかったから。作品も、おもろいなぁって思ったし。もし、売れていると言ったら買ってなかったと思う」

ディマシオは1938年、谷本さんは1940年生まれ。同世代の2人は1970年のパリで出会った。


これが、ディマシオと谷本さんの長い付き合いの始まりです。ディマシオ本人の人間性に惹かれた谷本さんは、その後も彼の絵を集め続け、いつしか所有する作品は膨大なものになっていきます。

谷本さんは、そのコレクションを展示するために、美術館の建設を計画します。時は1990年頃。候補地は開発中の関西国際空港島の対岸、当時はまだ埋立工事中だった「りんくうタウン」です。

谷本さんは、美術館のシンボルとなるような大作の制作をディマシオに依頼。しかし、その計画中にバブルが弾けます。

開発地域に進出予定だった企業は続々と撤退を表明。開発計画の見直しも発表されます。他の企業が身を引く中、最後まで美術館設立を諦めなかった谷本さんも、計画を断念するしかなかったそうです。

この幻となった美術館に飾るために描かれたのが、今回ギネス世界記録に認定された世界一大きな油彩画だったのです。

そして時を経て、ディマシオ美術館が2010年に開館します。念願叶ったその場所は、北海道の新冠町。太陽という地名に立つ、もともとは小学校だった建物を改装した美術館です。

美術館誕生のきっかけは、今から15年前。廃校が売りに出されていることを伝えるニュースでした。それを知った谷本さんは、北海道の縁もゆかりもないその場所に、何かを感じ取ったそうです。そして、すぐに大阪から現地へと向かいました。

その時のことを、谷本さんは授与式の壇上で振り返ります。


「最初はこの廃校を作品の保管庫にしようと思っていました。それで一度見にきてみると、すぐそばに住んでいる農家のご夫婦が、私に話しかけてきた。絵を保管するなら、ここで美術館はできませんか、と」

夫婦は、戦後この地にやってきた入植者。グッと握られた手のゴツゴツとした感触は、今でも忘れられないと谷本さんは話します。

「その時に、開拓者魂が私に乗り移ったんだと思います。だから私は、この大きな絵を飾る場所があるなら、ここで美術館をやると答えました」

そう伝えて、谷本さんは一旦大阪へ。ただ、さすがにそんなスペースはないだろうと思っていたそうです。けれど、数週間後に現地から連絡があり、再び新冠を訪れます。

「見にきたら、この絵がかかっていたんです。かつてディマシオに依頼した絵が、廃校の体育館にピタリと収まっている。隙間は、ほんの数ミリしかない。これは運命だと思いました」


「今日、名誉ある認定書をいただいた。これまで15年間、頑張ってきた。でも、いちばん頑張ってくれたのは町長をはじめとした地元の方々なんです。感謝をしています。あの夫婦がいなければ、この美術館はありませんでした。彼らのおかげで世界一の絵がここに収まった。そのご夫婦は、美術館ができて数年後に亡くなりました。きっと、天国から見てくれていると思う。感謝を申し上げたい」


授与式が終わったその日の夜、館内のレストランで小さな宴が。その席でも谷本さんはいろいろと語ってくれました。美術館創立時の運営戦略や、今後のディマシオ美術館についてなど…やりたいことは、まだまだたくさんあるようです。

1940年生まれの谷本さんは今年で84歳。そのエネルギーは、尽きることなく溢れ出ています。

「すべては人との出会い。気の合う人がいたら、その人と一緒に楽しむ。喜んでくれる人がいたら、それだけでいい。その姿を見ているだけで、僕も楽しいんです」

来年、開館15周年を迎えるディマシオ美術館。谷本さんとともに、物語はこれからも続きます。