日本有数の馬産地で、競走馬と生きる
日高といえば、北海道のほとんどの人が
「馬」を思い浮かべるほど、有名な馬産地です。
種付け、出産、育成、引退後の余生に至るまで
競走馬の一生はドラマチック。
そんな馬たちと人生を伴走する長浜謙太郎さんに、
牧場を案内してもらいました。
競走馬の一大産地である日高。この周辺をのんびり車で走っていると、そこかしこに広大な牧場があり、のびのびと走り回る美しい馬たちに出会うことができます。日高の日常ともいえる風景は、外から来た人たちの非日常。思わず車を停め、時間を忘れてしばらく眺めてしまいます。
牧歌的な風景の裏で、優秀な競走馬をデビューさせるには並々ならぬ努力が必要です。交配に始まり、出産、育成はもちろん、引退後に種馬や繁殖牝馬として活躍してもらうためのケアに至るまで、終わりがないといっても過言ではありません。それでも馬の輝かしい一生を見届けられることは、牧場で働く人たちの大きなやりがいにつながっています。新冠町の町議会議員を務めながら、家業の牧場を継いだ長浜謙太郎さんは「自分の手がけた馬が、競馬場で大観衆の声援を受けながら走る姿を目の当たりにすると、言いようのない高揚感に包まれます」と話してくれました。
長浜さんが経営する牧場は、サンローゼンと、白馬牧場のふたつ。さらに万世という場所に、母馬が出産をするための牧場もあります。サンローゼンでは、主に妊娠中の母馬や、産後の母子が一緒に暮らしています。そして種付けや、競走馬が競りに出るまでのトレーニングなどを行うのが白馬牧場。万世では出産のほか、妊娠していない牝馬が繁殖の準備を行っています。「繁殖シーズンは2月から6月。白馬牧場で種付けをした2〜3週間後に受胎しているかどうかを確認し、順調であれば来春の出産まで母馬はサンローゼンで過ごします。出産直前になると万世に運ばれ、産後1〜2週間すると子馬と一緒に再びサンローゼンに戻ってきて、離乳まで過ごすという流れです」
やがて離乳すると、子馬は競走馬への一歩を踏み出します。競りに出るころから、白馬牧場にて順次必要なトレーニングを始めるのです。そして母馬は、来年の繁殖に向けて準備をするため、再び万世に戻ります。
と、これが長浜さんの牧場で行われる一連の流れ。ケースはいろいろで、種付けから出産、競りに出るためのトレーニングまで一貫して同じ牧場で行う場合もあります。出産に関しては、馬房に取り付けられたネットワークカメラを使用し、離れていてもスマートフォンやタブレットでお産の様子がわかるようになっているのが昔と大きく違うところ。「以前は生まれるまでも立ち会って、生まれてからも子馬がちゃんと立てるか、母乳が飲めるかを見守らなければならず、春先の生産牧場は過酷でした」
しかし現状のシステムが確立されたいまも、馬が破水したことがわかれば車で駆けつけるのだとか。「なんのトラブルもないことが大半なのですが、やはり飛んでいってしまうんですよね」と長浜さん。競走馬の出産は、それだけ大きな出来事なのです。
競走馬として活躍できるのは、2歳から7歳くらいといわれています。引退後は種馬として、10年ほど働く馬が多いのだそうです。現役時代よりも種馬の期間の方が長く、当然競走馬時代にいい成績を残した馬ほど種付け料も高額です。かつ人気なため、繁殖牝馬が種付けできそうなタイミングがわかった段階で前もって予約をしておかなければなりません。かの有名なディープインパクトは、多いときで230頭もの種付けをしたといいます。「種を制するものは業界を制する」ともいわれるほど、馬に関わる人たちは、遺伝子の強さを知っています。
こうして天塩にかけて育てた競走馬が、数々のG1や中央競馬で日の目を見ます。そしてその生涯を終えると、ゆかりのある牧場で安らかに眠るのです。白馬牧場にも、2000年前後に大活躍したテイエムオペラオーをはじめとする馬たちの墓跡があります。数々の競馬ファンがたびたび訪れては、手を合わせて帰っていくのだそうです。「この馬に人生を救われました」「いまの私があるのは、この馬のおかげです」というお話を、長浜さんはこれまで何度も聞いてきました。生産・育成に関わった馬が多くの人の人生を変え、記憶に深く刻まれると思うと「自分の仕事が誰かの役に立っている」と思わずにはいられません。
競馬ファンだけでなく、たくさんの人に牧場を訪れてもらい、馬のいる風景を楽しんでほしいという思いで、日高では複数の牧場が解放されています。たとえば新冠町と新ひだか町に6か所の牧場をもつビッグレッドファームは、美しい景観が保たれた広大な牧場。敷地内をきれいに保つことで、馬が危険に晒されるリスクも低減させています。
「ファンに寄り添う牧場でありたいと思う反面、馬のたてがみを触らない、餌を与えないなど、基本的なマナー啓発ができておらずトラブルになるケースも増えています。それも、知らずにやってしまった、というケースがほとんどでしょう。各牧場も、特に出産・種付けシーズンは緊張が続き、通常の業務に追われてなかなか来訪者と向き合う時間がないのも事実です。そこで、新ひだか町に設立された『競走馬のふるさと案内所』が、馬産地を訪れる人たちのためにさまざまな情報を発信し、マナー啓発もしてくれています。日高の牧場見学を考えている人は、まず連絡をしてみてもらえたらうれしいです」
子どものころから馬の世話をするのが当たり前だった長浜さん。
「小・中と馬の世話をしながら乗馬を続け、高校から札幌に行きましたが、乗馬は続けていたものの、馬のいない生活が日常になるわけです。最初は気楽でしたが、徐々に寂しさを感じて。外に出て改めて、故郷や家業について考えるようになりましたね」 大学卒業後は地元に戻り、しばらく政治家の秘書として働いた後、自身も政治の道に進み、念願だった家業を継ぎました。人手不足や高齢化などの問題も山積していますが、これまで自分を育ててくれた日高に恩返しするという意味で、馬産地の町づくりを含めた地域の活動に尽力しています。
「幸い牧場には、馬が好きで外から働きに来てくれる人も多いんです。それだけ魅力を感じていただける職業なのかと思うと、うれしいですね」と長浜さん。長年の勘と経験、テクノロジーの力を駆使して、競馬史に残るような伝説の一戦を届け続けてきたからこそ、その熱い思いはしっかりとファンに届いています。
- Edit
- Satoko Nakano
- Text
- Satoko Nakano
- Photo
- Asako Yoshikawa